4n;xiety diary

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平俗な半生記録

小学校にいた時分、星が好きだった少年はいつも空を見上げていた。
あの星は何光年先にあり、見かけ上はひとつに見えるけど、ふたつの星が引っ張りあって回転しているんだと嬉々として語った。
 
やがて進学すると、またも彼は空を見上げていた。
相手が体勢を崩して打ち上げたボールを、今仕留めんとばかりにラケットを振り下ろした。
ラケットはただボールを弾き返すばかりで、肝心なものは全て網を通り抜けていった。
 
大学生になり彼の目はただひたすら本に向かっていた。
それはおおよそ血眼であり、ただ雑音を払拭するためだけの集中であった。
そうして手に入れたその場しのぎの平穏はすぐに崩れ去り、社会構造の一部に飲み込まれた。
 
名前のない生活を送る中で、彼の目線は二度と上向かず、この星を恨むかのごとくアスファルトの粒を踏み躙った。
情動はいずれ尽き、怒りに膨れ上がった醜い花は枯れて巨大な穴が現れた。
彼は迷うことなくその身を投げた。
今も彼はその暗闇に囚われている。
ときどき外から投げ込まれる縄梯子を、どうして登ることが出来るだろうか。
確かなものは今ここにいる自分と、ただ広がる暗闇なのだ。
先の見えない光に身を委ねることと、同化した闇を漂うことのどちらを選ぶかなど、考えるまでもなかった。
 
双子の光はもう届かない。

幻覚と世界の均衡

両手の鋭利な爪で、僕の体を撫でるように掻いている化け物がいる。

全身は黒く、鉱石か鉄でできたように機械的で冷たい。

ガラガラとした呼吸音は、どんどん大きくなっていく。

大きくなるにつれ徐々にノイズが弱まり、それが雨の音だったことに気付く。

化け物もいなくなっていた。

8畳半の部屋には自分が1人、ベッドに腰掛け壁に寄りかかっていた。

ダンボールや昨晩食べたコンビニ弁当が散乱する床を、慎重に歩いて台所へ向かう。

1週間放置されたコップをようやく洗い、薬を飲む。

洗ったそばから口をつけたから、再びコップはシンクに戻る。

シンクは清浄の場でありながら、不浄なものを溜めておく場所でもある。

陰と陽に置き換えるならば、柳の下に出る幽霊のようなものだ。

世界は均衡でできている。

ただその均衡は、見えている範囲で完結するものから、存在世界全ての総括によってなされるものもある。

幸福の総量については後者だ。

鈍化した精神には幸福を感受するためのアンテナがない。

拾い損ねた幸福は私の頭上を通り過ぎ、いずれ誰かが掴み取る。

そうしてこの世界はバランスを保っているのだ。